「頑張ってるか頑張っていないかは他人の決めることだ」
アフィリエイトに出会って
アドセンスというものに出会って
もっというとビジネスというものに触れて
私は結構この言葉が心に残っています。
で、思うのです。
本当だろうか?と。
あなたがどんだけ時間を割いて
家族との時間を犠牲にして
こどもに怒鳴り散らして
友人とのお茶を断って
寝る時間を削って
一生懸命頑張ったとしても
他人が認めなければ
他人が認めるような結果を出していなければ
「無価値だよ」
と、その人は言うんですね。
自分で「頑張ってる」なんて言うなと。
本当だろうか。
私は「頑張ってる」って
言っていいんじゃないかなって思うんです。
確かにね、学生の部活とは訳が違います。
チームワーク
ひとつのことに打ち込む
限界に挑戦
そういった
「 努力の過程 」
が評価される世界じゃありません。
それこそ、結果を出さなければ飯が食えない。
これが現実です。
勝たなければ淘汰されて消えていく。
でもさ、それだけでいいじゃん。
と、私は思うのです。
結果が出なければ、
稼げなくて
飯が食えなくて
諦めて
消えていく。
勝手にそういう仕組みになってるんだから
その人の努力・頑張りまで否定しなくてもいいじゃん
って思うのです。
その人が「頑張った」と思うのならば
それだけで価値があるよ、と。
こんなことがありました。
私は学生の時にスキーサークルに所属していました。
夏場、オフシーズンの時に
後輩を連れてトレーニングがてら
登山をしたんですよ。
当時の私はといえば、
スキーが楽しくて楽しくて
のめり込んでいましたから
朝からジムに通い
日中は雪上のイメージトレーニングをDVDを見ながらして
夜涼しくなればランニングという
お前、いつ勉強してんだ?
「してません」
みたいな。
その代わりめっちゃ体力あります。
みたいな生活をしてたわけです。
だって、スキー上手くなりたかったからね。
大学3年生の夏でしたから
実質幹事の代として
最後のシーズンがその冬にあるわけです。
気合いが入らない方がおかしい。
なもんで
ぶっちゃけ登山なんてお手のもの
だったんです。
結構な斜面でしたが
何時間も、どんどん登っていけました。
するとですね
案の定というか
ついてこれない後輩がいたんですよ。
「◯◯さぁーん。待ってくださーい泣」
「もう死にそうですー」
とかって、本当に死にそうな顔して言うんですよ。
平気で弱音を吐くんですね。
その子って、スキー上手くなりたいという割に
人からみると全く
全然、努力できてないんですよ。
夏のトレーニングの時は
実家に帰ったりしてるし
口では上手くなりたいって言ってるのに
美容とか他のことに時間をめっちゃ使ってたり
少々具合悪いくらいでサボったりするし
え?
もっとあの時間使えば上達するよね?
自分の甘いところ
ちょっと振り返れば分かるよね?
本当に上手くなりたいんだったら
もっと勉強するよね?練習するよね?
本気、出してないよね?
全然頑張ってないのに
「上手くなれませーん泣」
とか泣きついてくるんですよ。
まじかよ意味わかんねぇよ
ってその登山の時
「大丈夫ー?」なんて声を掛けながら思ってました。
冷たいですかね。
でもね、夏が終わって
秋も過ぎて、冬がきて…
当然その後輩は結果を出せませんでした。
大会でも学年が上だからという理由で
チーム戦ではレギュラーになったりしてたけど
でも、個人戦になったら全くダメダメでした。
まぁ、あの練習量
あの本気度だから、当たり前だよね
っていうような結果です。
がですね、
ところがですね、
大会終わってシーズンも終わってその後輩
何て言ったと思いますか。
大泣きしながらね、号泣しながらね
「頑張っても頑張っても、全く結果が出ませんでしたーー泣」
「自分の中では精一杯頑張ってたんですけど、思うようにいかなくて」
「足ばっかり引っ張っちゃってーーー」
って涙をポロポロこぼしながら言うんですよ。
あなたはこれ聞いてどう思いますか。
なんて甘いやつだと思いますか。
私はね
「あぁこの子なりに本当に頑張ってたんだな」
って思いましたよ。
その子、端から見て頑張りは足りてないけど
嘘を言うような子じゃないんですよね。
その場を取り繕いたくて
「足引っ張ってごめんなさい」
なんていう子ではない。
だから本心で、頑張ったけどダメだった。
って言うんです。
なんか意外にもその時
その子の本気が伝わってきたんですよね。
この子なりに
本気だったのだと。
そんで私は夏の登山を思い出しました。
なんであんな冷たいこと思っちゃったんだろうって。
つまりね
「頑張りの形は人それぞれ」
ですよ。
その子なりに、色々考えながら
自分はなんてダメなんだ、とか葛藤しながら
もっと練習しなくちゃ、とか焦りながら
今日はサボっちゃったな…
って胸をチクチクさせながら
それでも、そうやって頑張ってたんです。
当たり前だけど
客観的にみて練習量が足りないから
結果は出ません。
でも、結果が出なくて
それで一番悔しいのはその子だし。
だからさ、なんていうの
ブログでもさ
こっちが勝手に「あいつは頑張ってない」
って言うのは違うのかなって。
人によって状況も、稼ぎたい理由も
優先順位も、環境も
全く何もかもが違うわけで。
その人なりの何かの動機があって
その人なりの「ブログで稼ぎたい」があって
その人なりの「頑張り方」がある
と私は思うのです。
頑張ったって、自分で言ったらいけないんでしょうか
結果が出なければ、自分はクズなんでしょうか
人から認められなければ、自分はダメなのでしょうか
たぶんね
人から「アイツ頑張ってるなー」
って思われるくらいじゃないと
ブログって結果は出ません。
どんだけ作業してんの?キモイなー笑
くらいだと思うのね。
でもさ、みんなそれぞれ
自分なりに頑張ってるのではないかと。
何かを変えたいと思って
何かを変えなきゃと思って
不器用ながらに頑張っているんじゃないかと。
だから、他人が
アイツは頑張ってる
頑張ってない
なんて言ったとしても
あなたの「頑張った」は
絶対に紛れもなく「頑張った」のだよと。
私はそれをいいたい。
いろんな環境、育ちとか、ホントに色んな状況の中で
思うような結果が出てなかったとしても
自分くらい
自分のこと「頑張ったね」って思ってあげないと。
思っていいのではないかと。
私は「自分自身での頑張った」
も無価値ではないと思いますよ。
あの子のように。
というね。
なんか私を含めてだけど
ネット界隈「自分なんてまだまだゴミ」
とかいう人が多いので
最近思ってること、書いてみました。
自分なりの頑張りを
心地よく続けていけたら最高だなって思う今日この頃です。
しばっこ